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大鹿村騒動記

今月3日に放送された「ボクらの時代」に、原田芳雄、大楠道代、岸部一徳が登場した。いつも観ている番組ではないのだが、原田芳雄の話を特に聴きたくて、この回だけ録画して視聴した。
3人それぞれの役者人生を振り返る30分。原田は山小屋をやりたかったのが、なぜかこの道を選んでしまったと話していた。大楠は大映時代からの日本映画界の変遷と共に歩んだ半生を語っていた。岸部は役者としては後発だからと謙遜しながらトークに参加していた。面白い話がぎっしり詰まっていて、とても興味深い内容だった。この時の原田はまだ顔もふっくらしていて、病気という感じはまったくしなかった。あれが最後のテレビ出演になったようだ。
その後、11日の試写会舞台挨拶に、原田が車椅子で登場した様子がニュースで流れた。あまりのやせ方に、悪い病気だということはわかったが、まさかその1週間後に亡くなるとは思わなかった。そして19日、突然の訃報に絶句した。
彼の死には関係なく、この映画は観に行こうと思っていた。原田だけでなく、各世代を代表する役者が多数出演しているからだ。これだけの面子がそろうということは、役者魂を刺激する何かがあるに違いない。
舞台は、300年続く歌舞伎が名物の長野県下伊那郡大鹿村。主役を張る善さんのもとに、18年前に駆け落ちして出て行った妻貴子とその相手の治が帰ってくるところから、物語は始まる。普通なら「ふざけるな」と蹴り出すところだが、貴子が認知症ではそう無碍にもできない。
善さんと治のやりとりがおかしくて、終始クスクス笑わされる。特に岸部のおとぼけぶりは絶品。彼の出ている場面は、何かしら笑いが起こるのだ。全裸で湯船飛び込みは度肝を抜かれた。あのシーン、一瞬ぼかし入ってなかった?
何でも口に入れたり、万引きしたりする貴子。症状は深刻なんだけど、昔の夫婦に戻ったような時間もあって、居候の雷音ならずとも「いい感じ」に見えたりする。罪の意識のない時は少女のようで、記憶が蘇ったあとの後悔の表情はとても痛々しい。舞台裏で呟いた「許してもらわなくていい」の台詞が、心に残った。
松たか子に告白して、バスをバックさせる佐藤浩市もよかった。病院のベッドの上で道柴を演じていたのも笑えたし。親子共演とはならなかったけど、三國連太郎の穏やかな演技も素晴らしかった。シベリア抑留を思い出して涙ぐむ場面では、 長く日本映画を背負ってきた大ベテランの凄さを改めて見せつけられた。その他の人々もみんなエピソードがあって、わずか1時間半の上映時間とは思えないほど。
そして何といっても原田芳雄だ。企画段階から関わっていただけあって、彼の熱意が画面から伝わってきた。一本気で強引、でも人情に厚く、時に弱気な顔も見せる人間味あふれる男、善さん。鹿食堂で治と酒を飲み、村の職員美江をからかう長回しのシーンは、怒ったり悩んだり落ち込んだりと、まさに圧巻の演技だ。
クライマックスの大鹿歌舞伎も、相当練習を積んだに違いなく、堂々としたものだった。彼が大見得を切る場面では、単に映画を観ている以上の、何とも言えない思いがこみ上げてきた。彼の親族でも友達でもなんでもないのに、心の中にぽっかり開いた穴に秋風が吹き抜けた。
彼の一世一代の演技は、今年の賞レースを間違いなく席巻する。亡くなったことで、より感傷的になっていることは認めるが、生きていたとしても本作での彼の仕事ぶりは最大限に賞賛されるべきだ。
エンドクレジットの間、本編の名場面がダイジェストで流れ、その大半は原田の出演シーンだった。まるで彼の映画人生の集大成を観ているかのよう。劇場が明るくなってもしばらく立ち上がれなかった。
この映画の主演を見事務め上げて、彼は幸せだっただろう。もう彼の新作を観られないことは悲しいが、最後にこんな素晴らしい映画を作ってくれたことに感謝したい。本当にどうもありがとう。どうか安らかにお眠りください。
そのとおりと思ったら、ポチッ!
3人それぞれの役者人生を振り返る30分。原田は山小屋をやりたかったのが、なぜかこの道を選んでしまったと話していた。大楠は大映時代からの日本映画界の変遷と共に歩んだ半生を語っていた。岸部は役者としては後発だからと謙遜しながらトークに参加していた。面白い話がぎっしり詰まっていて、とても興味深い内容だった。この時の原田はまだ顔もふっくらしていて、病気という感じはまったくしなかった。あれが最後のテレビ出演になったようだ。
その後、11日の試写会舞台挨拶に、原田が車椅子で登場した様子がニュースで流れた。あまりのやせ方に、悪い病気だということはわかったが、まさかその1週間後に亡くなるとは思わなかった。そして19日、突然の訃報に絶句した。
彼の死には関係なく、この映画は観に行こうと思っていた。原田だけでなく、各世代を代表する役者が多数出演しているからだ。これだけの面子がそろうということは、役者魂を刺激する何かがあるに違いない。
舞台は、300年続く歌舞伎が名物の長野県下伊那郡大鹿村。主役を張る善さんのもとに、18年前に駆け落ちして出て行った妻貴子とその相手の治が帰ってくるところから、物語は始まる。普通なら「ふざけるな」と蹴り出すところだが、貴子が認知症ではそう無碍にもできない。
善さんと治のやりとりがおかしくて、終始クスクス笑わされる。特に岸部のおとぼけぶりは絶品。彼の出ている場面は、何かしら笑いが起こるのだ。全裸で湯船飛び込みは度肝を抜かれた。あのシーン、一瞬ぼかし入ってなかった?
何でも口に入れたり、万引きしたりする貴子。症状は深刻なんだけど、昔の夫婦に戻ったような時間もあって、居候の雷音ならずとも「いい感じ」に見えたりする。罪の意識のない時は少女のようで、記憶が蘇ったあとの後悔の表情はとても痛々しい。舞台裏で呟いた「許してもらわなくていい」の台詞が、心に残った。
松たか子に告白して、バスをバックさせる佐藤浩市もよかった。病院のベッドの上で道柴を演じていたのも笑えたし。親子共演とはならなかったけど、三國連太郎の穏やかな演技も素晴らしかった。シベリア抑留を思い出して涙ぐむ場面では、 長く日本映画を背負ってきた大ベテランの凄さを改めて見せつけられた。その他の人々もみんなエピソードがあって、わずか1時間半の上映時間とは思えないほど。
そして何といっても原田芳雄だ。企画段階から関わっていただけあって、彼の熱意が画面から伝わってきた。一本気で強引、でも人情に厚く、時に弱気な顔も見せる人間味あふれる男、善さん。鹿食堂で治と酒を飲み、村の職員美江をからかう長回しのシーンは、怒ったり悩んだり落ち込んだりと、まさに圧巻の演技だ。
クライマックスの大鹿歌舞伎も、相当練習を積んだに違いなく、堂々としたものだった。彼が大見得を切る場面では、単に映画を観ている以上の、何とも言えない思いがこみ上げてきた。彼の親族でも友達でもなんでもないのに、心の中にぽっかり開いた穴に秋風が吹き抜けた。
彼の一世一代の演技は、今年の賞レースを間違いなく席巻する。亡くなったことで、より感傷的になっていることは認めるが、生きていたとしても本作での彼の仕事ぶりは最大限に賞賛されるべきだ。
エンドクレジットの間、本編の名場面がダイジェストで流れ、その大半は原田の出演シーンだった。まるで彼の映画人生の集大成を観ているかのよう。劇場が明るくなってもしばらく立ち上がれなかった。
この映画の主演を見事務め上げて、彼は幸せだっただろう。もう彼の新作を観られないことは悲しいが、最後にこんな素晴らしい映画を作ってくれたことに感謝したい。本当にどうもありがとう。どうか安らかにお眠りください。
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