サルバドールの朝

実在のアナーキスト、サルバドール・ブッチ・アンティックの最期を描いた作品。レンタルDVDで鑑賞した。
最初は、サルバドールを例に挙げて、死刑制度の是非を問う映画だと思っていた。いかにして冤罪が作り出され、罪のない青年が法によって殺されなければならなかったのか。

確かに警察や司法の側にも非はある。逮捕の際、必要以上の暴力をふるってサルバを追い詰めたのは、権力を笠にきた横暴な刑事たちだ。死んだ警官からはサルバの銃以外の銃弾が発見されたのに、なんら審理することなく政治的な要請のみから死刑を宣告したのは、軍事法廷の裁判官たちだ。

しかしそれでも、サルバが犯した罪が消えるものではない。銀行強盗、車泥棒、そして警官殺し。いくら理念が崇高でも、やったことはやったこと。人を一人殺しているのに、自分は死にたくないというのは許されない。警官にも家族はいるのだ。

この映画は、死刑そのものを問題にしているのではないのだろう。純粋な思想を過激な行動で実現し、暴走の末に捕まった男の短い人生とその最期を目撃する映画であり、それ以上でも以下でもない。

歴史的には、サルバは単なる無政府主義者として記録されているのかもしれないが、本作を観ればそれは彼の一面に過ぎないことがわかる。

責任感や使命感が人一倍強く、独裁政権に対して何もせずにいることはできず、デモに参加。そして反政府活動に支援する仲間たちとともに、体制側の富の象徴とも言える銀行を襲撃する。自分たちを義賊ロビン・フッドに例えるあたり、彼らに罪を犯しているという意識はない。

しかし獄中のサルバを見る限り、家族想いのやさしい青年だ。末の妹が悲しい思いをしないよう、ガラス越しにアメリカ行きを勧める場面は、観ていて胸を締めつけられた。

暴力的な看守の心情変化も心を打つ。没収した父への手紙を読んで、サルバの家族愛の強さに触れて、サルバを見る目が変わるのだ。「こいつはただのごろつきとは違うのか?」。バスケを通して、何気なくかわす会話を通じて、看守はサルバに魅了され、そして彼の味方となっていく。

弁護士のアラウも、彼に魅入られていった一人だ。初めはサルバたちの思想や行動に批判的だったのに、最後は恩赦を勝ち取るために弁護士協会を総動員して、権力者たちに電話をかけまくる。

そんな彼らや家族たちの願いも届かず、サルバは椅子に座らされる。スペインの死刑って、結構えぐい。首を絞めるという意味では日本の絞首刑も一緒だが、重力か人力かの違いは大きいよ。あんな鉄ネジでぐいぐい締めるなんて、絶対にできない。あれを職業にしてる人がいるんだ。信じられません。

サルバの家族は、今でも再審請求を続けているらしい。国の行為は責められるべきところがあると思うが、それ以上に家族を突き動かしているのは、生前のサルバを愛していて、忘れることができないからじゃないだろうか。きっとそうだと思う。

この映画によって、サルバの素顔がたくさんの人に知られることで、彼の供養になればいいね。

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子供の頃から映画が大好き!いっぱい観てきたつもりですが、まだまだ勉強不足です。毎日映画だけ観て暮らすのが夢。


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